引き際




トン テン カン  トン テン カン

トントン カンカン トンカン


時間を問わず鳴り響いていた音は、月が天辺で光り続けている間も鳴り続けている。

戦の準備は刻一刻と、その時迎えるために進められていた。


「・・・さて、どうしたものか・・・」

小さく呟かれた言葉は、厚めの口唇から宙へと吸い込まれる。

幾つも組まれた足場のその上には、小さな身体が忙しなく動いていた。

時折図面を片手に、作業に従事している村人へ指示をだす。

この短時間でこんな巨大なものを、しかも工兵でもない農民達で作り上げるなど、感心せざるを得ない。

かといって、ここでその姿をただ見上げているわけにはいかなかった。



『ヘイハチは不眠不休です。無理し過ぎて倒れなければよいのですが』


先程、小屋の中にて発せられたシチロージの言葉が頭の中をぐるぐるとまわる。

作業の手を止めたことに責任を感じているようだと言ったシチロージは、心底ヘイハチの身体を気遣うような困った表情を浮かべた。

そこまで言われて自身の気が済むわけにはいかない。

自分の休憩時間を機に、ヘイハチの持ち場まで足を運んだのだった。


「おや?」

気が付けば、遥か下方から自分をじっと見上げているゴロベエの姿があった。

目が合ったことに気が付いたのか、ゴロベエは右手を持ち上げ、指先をちょいちょと前後に振る。

「何か用ですかぁ〜?」

「よいから、降りて来い」


首を傾げながらも、手にしていたスパナを工具箱の中に一旦仕舞い、綱などを伝って器用にスルスルと降りていく。

「ぃよっと」と声を掛け、最後の距離を飛び降りるようにして着地した。

「はい、降りてきましたよ」

ニッコリといつもの笑顔を見せると、徐に伸ばされたゴロベエの掌がヘイハチの頬を包む。

いきなり過ぎて、ほんの少しだけ狼狽えてしまった。


「ちょ、え、ど・・・どうしたんで・・・」

「お主・・・全く休んでおらぬそうだな」

顔色を確かめるようにして、細められた瞳が鋭く向けられる。

「それは・・・私のせいで作業を中断させてしまったから・・・」

「挽回しようと言うのか?」

「そうです」

「だからといって、お主が今ここで無理をして倒れてしまってはどうするのだ」

「倒れませんよ」

「言い切れんだろ」

「平気です」

「そういう訳にもいかぬ」


言い合いを始めてしまった二人に、周りの村人たちも気が付いた。

成人男子としては大柄なゴロベエ。

成人男子としては小柄なヘイハチ。

そんな二人が、見下ろす、見上げるカタチで言い合う様子は、まるで大人と子供の喧嘩にすら見える。

口調は穏やかと言えど、どちらも退かぬ様相に、心配になった村人たちは手を止めて見守ってしまった。


「ほら見ろ、お主が我を張るから周りの者が気にしておるではないか」

「あ、しま・・・って、違いますよ、ゴロベエ殿の頑固が皆さんの手を止めてしまったのですよ」


やはり止まらぬ様子の二人に、村人のひとりが声を掛けようとヘイハチの後方から歩いてきた。


「あのぉ・・・」

声を掛けた瞬間。

目の前にあったヘイハチの背中がふわりと浮き上がり、あっという間にゴロベエの肩にへと担がれてしまった。


「ぅわぁ、わ、ゴ、ゴロさんっ!」

じたばたと暴れだすヘイハチなど気にした様子もなく、ゴロベエは村人の方にへと向き直った。

その姿はまるで米俵でも担いでいるかのようにも見える。


「すまぬが、ヘイハチに休息を取らせて貰っても構わぬか」

村人たちは顔を見合わせながら、大きく頷いた。

「へえ、構いませんだ。ヘイハチ様の指示は受け取ってますだで、わしらは作業を進めるだ」

「わしらもヘイハチ様には休んで貰いてえだ、なあ」


村人はみな口々に「んだ、んだ」と相槌を打ち、誰一人とてヘイハチの味方になる者はいない。

ゴロベエは「かたじけない」とだけ残し、暴れるヘイハチを担いだままにその場を後にした。



月明かりだけが頼りの暗い夜道、ゴロベエは何の躊躇もなく進んでいく。

静かな筈の夜道はヘイハチの抗議の声が響き渡り、もがくように暴れる手足は虚しく宙をさ迷う。


「もぉっ、いい加減に降ろしてください!」

「そうはいかんと言っているだろ」

「私はやらなければいけない事が山程あるのです」

「休息をとるということも、お主がやらなければいかぬことの一つだ」


何とか言い聞かせようとはするが、それでも暴れるヘイハチに、ゴロベエはひとつ溜息をついて足を止めた。

前後に道が続き、左右は鬱蒼とした森が広がる何もない場所。

ゴロベエは、前方を見やり、振り返り後方を見る。

右方に目を凝らし、左方を見渡し、再び右方に視線を戻し、そのまま茂みの中にへと入っていった。

いくらか進み、一本の木の前に立ち止まる。


「ゴロさん?」

「ヘイハチ・・・どうだ、某の折衝案を受け入れぬか?」

「折衝案?」

「左様、某は小屋までお主を連れて行きたいが、お主は現場におりたいと言う・・・ならば、ちょうど中間にあたるこの場所で折り合いをつけよう」

「・・・はぁ」


要領を得ない気の抜けた声の返事に、ゴロベエはそのままヘイハチを肩からおろした。


「次にだ・・・某はお主に眠ってもらいたいが、お主は眠りたくないと言う・・・ならば、眠らずともよいから、この場で横になって身体を休めてはくれぬか?」

「・・・・・・・・・」

「ん?どうだ」

「・・・この折衝案に私の意志は反映されていないように思うのですが・・・」


ヘイハチの口唇が少しだけ尖るさまに、ゴロベエは満足そうな優しい笑みを浮かべる。

諦めたようにして落ちた肩を、ゴロベエの手がバシバシと数度叩く。

両肩を力強く掴み、そのままヘイハチを地にへと座らせた。

少しずつ身体のチカラを抜いていく様子を眺め、どうやらこのままこの場所で暫くは休んでくれそうだと判断したゴロベエは、そのままクルリと背を向けた。


「え、行っちゃうんですか」

心許ない声音、ついうっかりと出てしまったような言葉が耳に届く。

振り返り、その声の持ち主を窺うが、俯き加減で帽子を脱いでいる最中だった為、その表情をみることは出来なかった。

帽子を脱ぎ終わっても顔を上げようとしないヘイハチに、ゴロベエは一つ咳払いをする。


「ひとりの方が静かに休めるかと思ったのだが・・・・・・・・・まぁよいか」

どさりと重い音がして、ヘイハチの隣にゴロベエが腰をおろした。

ヘイハチが慌てて振り向くと、ゴロベエは片目を閉じてニヤリと笑ってみせる。


「某が居らぬからと、また現場に戻られても困るからな」

「し・・・仕方ないですね、ゴロさんがそこまで言うなら付き合って差し上げます」

ゴロベエの作る口実は、いつもヘイハチに逃げ道を用意する。

その心地好さと、得難い安心感につい甘えてしまう自分を歯痒く思うが、でもそれがやはり嬉しくて仕方がない。

抑えきれない嬉しさが身体から流れ零れてしまいそうで、そんな自分に気づかれたくなくて思わず目を逸らした。

ヘイハチはいそいそと脱いだ帽子とグローブを草の上に置き、まるで当然かのようにして胡坐をかいているゴロベエの左足の上に頭をおいて横になった。

もぞもぞと動きながら、頭の置きやすい位置を探り、ゴロベエの方へと身体を横に向けて顔を沈めるような体勢をとる。

ようやく良い位置を探り当て、動きの落ち着いたヘイハチは、自分の髪がゴロベエの手で梳かれていることに気が付いた。

汗と砂埃でパサパサになった髪に、ゴロベエの節くれだった指が流れる。

置いた頬には、布越しにゴロベエの体温が伝わってくる。

じわじわと浸透してくるそれは、『暖かい』というより『熱い』と表現する方が近かった。

ただ今はその熱さすらも心地好い。


「・・・ゴロさん」

「ん、どうした?」

「ゴロさんは、人よりも体温が高いのですか?」

「さて・・・気にしたことなどはないが・・・・・・高いか?」

「熱いくらいですよ」


一旦止まった手が再び髪を梳き始める。

梳いていた手は段々と、ヘイハチの頭を撫でる仕種に変化していった。


「そうだなぁ・・・人より高い温度の差分は、某のヘイハチへの恋情・・・というのはどうだ?」

ヘイハチの肩が揺れる。


「この温度が恋情・・・ですか・・・」

「ああ」

「・・・・・・じゃあ、もっと熱くなって貰わないと」

「足りぬか?」


ゴロンと仰向けになったヘイハチは、両手を拡げた。

天に向け伸ばし、丸く円を描きながら『もっと』を見せる。


「私は欲張りですから」

「そうか、欲張りか」

「はい、それはもぉ」

「ヘイハチの要望に応えるには、某の身を焦がす程に熱くならねばいかんな」

「そうですね・・・あぁ、でもあまり熱くなり過ぎても・・・」


ヘイハチはゴロベエの顔を見上げながら、拡げていた左手をゆっくりと移動させた。

伸ばした指先でゴロベエの顎を、触れるか触れないか僅かな距離をおきながら、その線をなぞる。



「熱すぎては・・・肌を合わすことができません」



何処までが本気で、何処までが冗談なのか。

穏やかな笑みを浮かべたヘイハチの指先が、ほんの少しだけゴロベエの顎に触れた。


「それは某も困ったな・・・」

そう言いつつも言葉ほどに困った表情などなく、切なさを滲ませた瞳がヘイハチの心を捉える。

顎に触れたヘイハチの手を自身の掌でやんわりと包み込む。

軽く握り返してくるヘイハチの手をそのまま自分の頬へと導き、その甲と頬をゆっくりと重ねた。

手の甲に伝わり感じるのは、ゴロベエの頬の傷の感触。

二度ほど重ね擦られたヘイハチの手は、そのままゴロベエの口許まで滑らされて口唇にあてられた。



「身を焦がす程に熱くはなれんが・・・共に熱をわかちあい、高める事は出来るであろう」



甲に口唇をあてたままの言葉は震動となり、耳だけでなく直接身体にも伝わってくる。

一度甲から離れた口唇は、次にヘイハチの指先に触れた。

触れられ・・・吸われ・・・甘噛みされ・・・指先から全身にへと包み込む甘い痺れにヘイハチは酔いしれる。


「ゴ・・・ロさ、ん・・・」

ようやく発することが出来た名は、掠れた声で微かな音でしかなかった。

口唇で愛撫された指先は、ゴロベエの指へと絡めとられ、力強く握り締められ、汗ばんだ掌は互いの熱をじわじわと高めていく。


「ヘイハチ・・・」

真剣な表情のゴロベエがゆっくりと覆いかぶさり、ヘイハチはそっと瞼を落とした。

あの厚い口唇が自分のそれと重なることを想い、心臓が大きな音をたて始める。

鼻先が触れ、互いの呼吸の温度すら感じ取れる距離にまでなった時。


「むぅ・・・いかん、いかん」

間に立ち込めていた艶めいた空気が掻き乱される。

汗ばむほどの周りの温度が一気に下がっていくのを感じ、ヘイハチが片目だけあけてみると、

あんなに近くにあった筈のゴロベエの顔は元の位置へと戻っていた。

「・・・へっ」

「すまんな、終いだ」

「なっ・・・ひどいですよ、ゴロさんっ!私はもうその気になったのですよ」


ヘイハチの頬がぷぅ〜っと一気に膨らんでいく。

ゴロベエもバツが悪そうに顔を歪めながら、頭をガシガシと掻いた。


「まぁそう怒るな、某とて我慢するのだ」

「我慢なんてしなくてもいいじゃないですか」

「某はお主を休ませる為に此処に連れてきたのだ。そんなお主相手には出来ぬであろう」


絡めていた指は何時の間にか解かれ、さあ寝ろ、と言わんばかりに、ゴロベエの手がヘイハチの目元を覆う。

色々と誘うような言葉は掛けてはみたが、それでも視界は覆われたまま。

どうやら、もう何をいってもこの先は望めないらしい。

これはゴロベエの優しさだ・・・だが、その優しさを知っているからこそ、嬉しくもあり、歯痒くもあり・・・。

大きく深呼吸をしたヘイハチは、覆われた視界の暗闇を見つめながら再び瞼を閉じた。



「ゴロさん・・・」


「ぅん?」

「私が眠るまでは・・・居てくださいね・・・」


最後は消え入りそうな小さな声。

そのまま引き結ばれてしまった口唇を見つめながら、ゴロベエは優しい笑みを浮かべた。


「お主が目を覚ますまで・・・いや、目を覚ましてからも共に居るぞ」


穏やかに耳に響くその声に、ヘイハチはゆっくりと眠りに落ちていった。







疾風様よりー!


へ、ヘイさん可愛いッ!
寸止めご苦労様ッス。つ、続けてくださっても(以下略)
まだまだ若いヘイさんと、やっぱり大人なゴロさん、有難うございました。
うん、ヘイハチの感覚は米俵…。うん。凄く良く解ります。こう、ひょいって…。
困ったといいながら全然困ってないゴロさんが愛し過ぎます。
頬を膨らませるヘイさんが可愛すぎます。
素敵な作品を有難うございました!!ま、またください。


 

『…龍』様