人を斬るのは楽しいですか?
問いかけに応えてすらりと白刃が抜かれる。燃えるような夕日を映して赤く染まる愛刀を見ながら、
浅黒い肌の厳つい男が人懐こい笑みを浮かべると、その頬に深く刻まれた傷跡が微かに形を変えた。
「そうさな……某はこの刃に己の命を乗せて戦場を駆ける時、己が生きておると感じるな」
「……それは、答えになってますか?」
武人らしい男の返答を反芻しながら、ふと湧いた疑問に首を傾げた。
「そう言う、お主はどうかな?」
問い返してくる男の、夕日を背に浴びて暗く陰った姿は、まるで岩の様にも見える。
「…………人を斬れば……際限がなくなるものです。だから私は、そうならないように逃げ出すことにしております」
既に太陽の下限は地平に触れ、断末魔のように強く照らす日差しは影を濃くする。逆光に遮られ、表情の見えない男が笑う気配がした。
「それは答えにはなっておらぬなぁ」
夏を終えた日差しは焼け付く様な激しさを和らげ、吹き渡る風は乾いて心地よい暖かさを運んでくる。
天気の良い日は、人の心も晴れやかになるようで、街道を行き交う人々の表情は心なしか明るく見えた。
「いやぁ、これは忝ない」
自分へと差し出された団子の皿を受け取って、ヘイハチは律儀に頭を下げた。
「あの〜、ゴロベエ様さ、どちらにいかれただか?」
侍であるヘイハチに頭を下げられ、リキチがくすぐったい様な居心地の悪さに頭を掻きながら視線を廻らせた。
「ゴロベエ殿は策が有るからと、なにやら調達に行かれました。すぐに戻ると仰ってましたから、わたしたちはのんびり待たせて貰いましょう」
ヘイハチはそう言って綺麗に串に並んだ団子を囓り、茶を啜って、言葉通りのんびりと笑う。
一刻も早く村へ行きたいらしいリキチは、不安そうに「へぇ」と小さく頷いた。
「ヘイハチさま。お茶、もう一杯どうだか?」
茶屋の主に勧められ、リキチがヘイハチに声をかけた時、のどかな昼下がりには不似合いな、甲高い悲鳴が響き渡った。
「な、なしただ??」
腰を浮かせかけたリキチの肩をヘイハチが掴む。小柄なヘイハチの何処にこんな力がと思う程力強く引き戻され、
リキチは元々腰掛けていた椅子に小さく尻餅を着いた。
「へ、ヘイハチさま?」
言いかけたリキチの視線の先で、ヘイハチが自分の唇に人さし指を立てる。
何時も細めている目が、片方だけ見開かれ、少しだけ眉を寄せた厳しい表情にリキチは言葉を失った。
二人の前に半ば転げるような人波が押し寄せる。まるで雪崩のように逃げまどう人々の後から、
耳を覆いたくなるような断末魔の声が響き渡った。
砂袋が土に落ちる様な重い音が響き、二人の目の前に丸い毛むくじゃらの玉が転がった。
少しいびつな球体はごつごつと土の上を跳ねてリキチの目の前でようやく止まった。
「ひっぃぃっっ!!」
言葉にならない悲鳴を喉に詰まらせ、リキチはヘイハチにしがみつく。道の上から、斜めになった生首が、
振り乱された髪の間から虚ろな目で恨めしそうにこちらを見ていた。
水を打った様な静けさの中で、親を失った子供の泣き叫ぶ声だけが響く。
「……リキチ、巻き込まれぬ様にさがっていろ。だが、あまり離れすぎぬ様にな」
低く囁いてヘイハチは立ち上がった。
「へ、ヘイハチ様っ。大丈夫だか?」
不安そうなリキチにいつものえびす顔が微笑む。
「さて、あまり自信はありませんねぇ。ゴロベエ殿の留守中になるべく目立ちたくは無かったんですが……しかし、あれは捨ておけまい」
ヘイハチのものとは思えない程に低い最期の言葉は、リキチでは無く目の前の光景に向けられていた。
その険しい視線の先では、首を無くした父親の遺体にしがみつき、年端もいかぬ童女が声も枯れよと泣いている。
その背後に薄ら笑いを浮かべた細身の男が幽鬼の様に近より、童女の父親の血に濡れそぼる刀を片手でゆるりと振りかぶった。
固唾をのんで見守る者達は、瞬間、童女が父親と同じ運命をたどる幻を見た。だが、男が振りかぶった刀は振り下ろされなかった。
男の意思によるものではなく、お節介な一人の乱入者がその腕を掴んだからだ。
「……なんだてめぇ」
「この親子に何の恨みが有って、この様な無体をするんです?」
「恨み? 恨みだと??」
耳障りな禍々しい哄笑が響き渡った。男の足が跳ね上がり、ヘイハチは飛び退さった。
男は嘲笑を浮かべてヘイハチが下がった距離を一歩で詰め、その頭上に白刃を打ち下ろす。
ヘイハチが自分の刀を掴んで身を捻り紙一重でかわすと、打ち下ろされた白刃が俄に方向を変えて跳ね上がる。
白いてるてる坊主が踊った。
跳ね上がる白刃と打ち下ろす白刃が音高くぶつかり、気合いに打ち震える刀身が風を蒔いて土埃が舞う。
「人を斬るのに理由が要るか?……面白ぇからだよ」
男が片手で振り回していた刀の柄に両手をかけた。力任せに跳ね上げられ、ヘイハチは押さえきれずに距離を取る。
五月雨の様に絶え間なく激しい斬撃がヘイハチに襲いかかった。
「こいつがぶつぶつと肉を斬ると、ごりっとした骨に当たるだろう? そいつを力任せにごちんっと斬るんだ。
あの手応え、お前も解るだろうっ? あんな楽しい事は無ぇだろう? なぁっ!?」
めちゃくちゃな早さで振り回される刀は、受けるとずしりと重い手応えがあった。一合ごとに、ヘイハチは僅かに下がり、男が進む。
男の切っ先がヘイハチの帽子を掠めて弾き飛ばし、収まりの悪い萱草色の髪が零れて白刃に触れ、数本が散った。
刃が風を斬る音、擦り合う刀身が散らす火花。音高く響く刃鳴り、全てがヘイハチの中の重い闇を揺り起こしていく。
(……まだ、だ。……もう、すこし……)
どす黒く沸き上がるものを堪え、苦しげに眉を寄せてヘイハチは更に数歩下がる。更に男が踏み込む。
(よし!)
泣いている童女が完全に男の間合いから外れた。情に厚そうなどこかの新造が童女を抱きかかえて連れ出すのを目の端に見て、
ヘイハチは男に押し切られた様にさらに数歩下がる。
嵩に懸かった男が一気に踏み込んだ。
「……ぐっ……ぅあぁぁぁぁっっ!!」
男の一撃を入り身でかわし、跳ね上がったヘイハチの刀は男の両手首を斬り飛ばした。
跳ねとばされた刀は二つの手首を付けたままくるくると宙を舞って大地に突き刺さる。
吼える様に苦痛の悲鳴を上げる男の逸らされた喉へ、ヘイハチの刀が水平に奔った。
ごつんっ。と手首に軽い衝撃が有ったが、ヘイハチはそのまま刀を振り抜いた。男の首が詫びるように項垂れ、
重い音を立てて地に落ちる。吹き出した血飛沫が赤い驟雨となって降り注いだ。
「貴方は……人を斬るのは楽しい。などと言っていましたね……」
ぽつりと抑揚無く呟いたヘイハチの口角が、じわりと吊り上がる。
……私もですよ……
戦場で、日々生きるために人を斬った。初めは確かに生きるためだった。だが、それは何時しかほの暗い喜びへと換わり、
白刃を振るう事が止められなく成っている己に気付いたとき、自分の刀から血を払う為に工兵隊へ志願していた。
時代と己の心に淀む暗い淵は、刀を捨てる事を許してはくれなかったから。
工兵になってから人は斬っていない。忘れるには十分と思っていた月日は、結局何の役にも立たなかったのか……
人を斬るのは楽しいですか?
あの日、ヘイハチがそう訊いた時の、真っ直ぐに見返してきた錆色の瞳の静けさが頭から離れない。
気付いただろうか、あの人は……
「ヘイハチ」
良く知った声に名を呼ばれ、ヘイハチは瞬間凍り付いた。
刀の血を払って背の鞘に収め、出来るだけ素早くいつもの顔を作ってゆっくりと振り返る。思った通り、
浅黒い肌の大男がこちらへと大股で歩み寄ってくるところだった。
「ゴロベエ殿。…………? ……あ゛痛だぁっっっ!!」
目の前にたどり着くなり、その太い指から容赦ないデコピンを喰らってヘイハチは額を抑えた。
涙目で俯くヘイハチの髪を大きな掌がくしゃりと撫でる。
「なかなか良い腕だ。だが、仕方の無い事とはいえ少々目立ってしまったのぅ」
ざわめきながらも、周囲を取り囲む様に増えていく野次馬を見回して言うゴロベエの苦笑混じりの呟きに、
自分の頭に乗せられたままの大きな手を見上げて、やや呆然として「すみません」と小さくヘイハチが詫びた。
「なに、お主が詫びる事は有るまい。だが、役人でも呼ばれては面倒だ。ここはさっさと逃げるとしようかな」
ゴロベエがその太い唇に相応しい笑みを浮かべる。
逃げる。とゴロベエは言ったが、その言葉を忌避する侍は多い。
対面ばかりを気にする者は「負け」や「逃げ」といった言葉を使いたがらない。
なんの衒いも屈託も無く使うゴロベエの口調は、何故かほの暗い闇に捕ら
われかけたヘイハチの心を軽くする響きが有った。ヘイハチは、形だけのいつものえびす顔を少しだけ暖かく緩めて頷いた。
「よぉし。では、遅れぬ様についてまいれ!」
そう言って、もう一度ヘイハチの髪をくしゃりと撫でると、野次馬の間から心配そうに見ているリキチにも合図して、ゴロベエは一目散に駆け出した。
人混みの向こうでやや慌ててリキチが走り出す。ヘイハチも素早く帽子を拾った。
ゴロベエは野次馬の包囲網が完成する前に、その壁の薄いところを見越して突っ切って行く。
大男の乱入に慌てて道を空ける人々に、ゴロベエが詫びの替わりにおどけて見せると両脇に並ぶ人垣に暖かい笑顔が咲いた。
その光景が、まるで魔法を見ている様に不思議に見えて、俄にゴロベエと言う男に興味を惹かれる。
「……なかなに面白いお人と出会えたものです…………一つ、追いかけて見ますか……」
ヘイハチは口中に呟くと、ゴロベエの広い背中だけを見てその後を追い、自身の闇を振り切る様に駆け出した。
<了>
まりね様より
ありがとうございます!デコピンがやったらツボに入りました。
ゴロさん…やりそう。やりそうですよ。暫く赤くなってそうですね。
やっぱり大人なゴロさんと、まだまだ若葉大人なヘイハチをありがとうございました!
ま、またください!
まりねさんちの『裏庭』