始まり、始まり。




目の前に、遥かに広がる青空があった。

その高い高い空に、鳶が一羽、輪を描いた。



ヘイハチは、これが夢ではないことを知った。

爆発に巻き込まれて落ちた時は、もう駄目だと覚悟をしていたのに。

でも、まだこうして空が高いとこにあるのなら、息はあるのだろう。



空を見上げたまま、右手を動かしてみた。大丈夫、動くようだ。

左手。痛むが、動く。

脚は…


「痛…!!」

左足に激痛が走る。恐る恐る見下ろすと、左脇腹から下がどす黒い血で染まり、足を大きな岩が覆ってしまっている。

「うーん、これは…」


ヘイハチは苦笑した。

この岩は自分では動かせない。

このまま誰も見つけてくれなかったら、長い命ではないだろう。そのうちあの空を舞う鳶が舞い降りて、突付くのがオチだ。



「米が、食いたい」

とてつもなく、食いたい。

腹が、減ったなあとヘイハチは空を見上げていた。


戦は勝てただろうか。

皆生きているだろうか。

カンナ村は救われただろうか。



そんなことをぼんやり考えながら、空を見ていた。

もし、死んでいたらゴロさんに会えていた頃かななんて、考えてみたりもした。


「神様は、まだゴロさんに会わせてはくれないようですね」

でも、ニ三日もしたらそうでもないか、とヘイハチは笑う。

畳の上で死ねるとは思っていなかったが、こんな所で一人で死ぬのも嫌だなと苦笑してみた。

仲間を呼ぼうとしてみたが、腹に力が入らず声が出ない。


「きっと私は幸せ、だったんだ」

ヘイハチは頷いた。

サムライとして、工兵として最高の戦をした。いい仲間にも出会えた。

ゴロベエにも、会えた。そして、心から愛した。

あの人が自分を想ってくれていたかどうかは結局解らずじまいだったが、ここまで心から愛せた人に出会えた自分は

きっと幸せなのだろう。







そんな時だ。

足元の岩がガラガラと音を立てて崩れた。誰か来てくれたのかと首を長くしたら、そこには懐かしい、夢にまで見た顔があった。

「…私は、夢を見ているのでしょうか。それとも、死に際の妄想か」

「お馬鹿。幽霊が岩を砕くものか」

「…では、私は」


ゴロベエだ。カンナ村で死んだはずのゴロベエだ。

困惑するヘイハチにゴロベエが近寄り、そっと抱き上げる。

「シチさんにお主が行方不明だと聞いて、探したぞ」

「…シチさんは、生きてるんですか」

「ああ。ピンピンしておる」

「そう、ですか…って、ゴロさん、これはどういうことです!」

「ああ、そうだな」

ゴロベエはあっはっはと笑った。

「某、確かに仮死状態にはなった。まあ、自分でも死んだと思っておったのだが、某の悪運未だ尽きず、

途中で息を吹き返したのよ。でも、カンベエ殿の策の手前、某は死んだことにしておいたほうが良さそうだったのでな。

まあ、キュウゾウ殿と裏で諜報活動をしておった。騙してすまぬな」

「…知らなかったのは私だけですか」

「いや、カンベエ殿とキュウゾウ殿以外は皆知らぬ。シチさんなどは相当慌てておった」

「笑い事じゃありませんッ!」

ヘイハチは、語気を強めた。

「私がどれだけ…悲しんだか。ゴロさんは解らないでしょう。

貴方を失って、どれだけ苦しかったか。どれだけ辛かったか。どれだけ壊れてしまいたかったか。

どれだけ、私がどれだけ…」

最後は言葉にならなかった。

煤と傷だらけの頬を、綺麗な涙がぬらした。その涙をゴロベエが拭ってやると、堰を切ったようにゴロベエにしがみついて泣き出した。


「知っておる」

「何を知っているんです」

「お主が苦しんでいると聞いて、どれだけ抱きしめてやりに行こうと思ったか。せめて生きていると伝えてやりたかったが、

それでは策は成らぬ故。許せ」


ヘイハチは、ぐしゃぐしゃの顔を一度袖で拭うと、恨みがましそうな顔でゴロベエを見た。

「二つ、約束してください。一つ、私の傷が治るまで側にいること。一つ、接吻を一つくれること」

「ヘイハチ…」

お願いします、とヘイハチは頭を下げた。




下を向いたヘイハチの顔は、きっとまた苦しい顔をしているのだろう。

ゴロベエはヘイハチの帽子を見ながら思った。

肩が、震えている。

ゴロベエの背を掴む手に、力が入っている。

ヘイハチが予期しているのは、ゴロベエとの別れ。

死別ではなく、サムライがまた違う道を歩みための別れ。

ゴロベエは、小さく「お馬鹿」と微笑んだ。


「祝言を挙げよう」

「え?」

ヘイハチが目を丸くして顔を上げた。

「ん?聞こえなんだか?祝言を挙げるかと言ったのだ」

「…は?」

「嫌か」

「ちょっと待ってください、それって、どういう意味で…」

「あのなぁ。祝言を挙げる意味にどういうもこういうもあるまい」

何度も言わせるな、と少し照れたようにゴロベエは笑った。

「本当の死が別つまで、某と共に歩んではくれまいか」

「…ゴロさん」

「頼む」


ヘイハチは、ぎゅっとゴロベエを抱きしめた。

もう言葉は出なかった。

その背を、よしよしとゴロベエは撫でてやる。

大分痩せた体は、嗚咽で震えていた。

「ゴロさん」

漸くヘイハチは顔を上げて笑った。

「宜しくお願いします」

「こちらこそ」

ヘイハチを抱えるゴロベエの腕が少し位置を変えたと思えば、すぐに唇が降りてくる。

ヘイハチはゴロベエの唇をしっかり受け止めて、その背を離すまいと抱いた。






「ゴロさん、一度カンナ村に戻ります?」

「いや、戻らぬ。ヘイさんも某も死んだことになっておるからな。今戻るとややこしい」

「そうですね」

「ヘイさん、南に行かぬか」

「ゴロさんの故郷ですか」

「ああ。南は勝ち方だから、北よりはサムライの生きる道もある」

「いいですねえ」

「ほとぼりが冷めたら、一度カンナに行こう」

「はい。リキチさんも喜びますよ」

「ははっ。そうだな」







END





最後は、これでしょう!という感じで。

ゴロさんもヘイさんも生きていたら。捏造ですが。

二人が幸せになって欲しかったので。

ヘイさんはどうにも幸薄いイメージが付きまとってしまいます。


余談ですが、この後は、ヘイさんのほうが早く死にそうです。