世界が終わったら
パチパチ、と囲炉裏の炎が燃える、小気味いい音がする。
端には先ほど村人が持ってきたサツマイモが濡れた古紙に包んで置いてあった。
こうして焼けば、焦げ付かないし水分が行き渡ってしっかり蒸すことができる。
駕籠一杯もらったが、サムライの人数分だけ頂いて、後は子供達にと分けてやった。
ヘイハチは囲炉裏の前の明るい場所で、さらに灯台を持ってきて、その元で作業をしている。
なんでも、釣瓶の具合がおかしいらしく、滑車部分を見ているのだ。
自前の工具を白い布の上に丁寧に並べ、まるで医術のように細かい接合部分やらを慣れた手つきで
解体してゆく。その見事な手さばきは誰もが舌を巻いた。
ゴロベエも工兵の仕事は幾度となく見てきたが、ここまで腕のいい工兵も中々いない。
ゴロベエは刀に打ち粉を振るう向うに、ヘイハチの顔を見た。
人斬りしか脳のない前線のサムライより、技術屋の工兵の方はるかに戦後を生き抜きやすかっただろうに、
ヘイハチは自分と勝るとも劣らぬ下の下の道を歩んできていた。
何故かと聞く気にはなれなかったが、随所に見える彼の影でゴロベエには大体の察しがついている。
けれど、それを口に出して言うことはしなかった。いつか彼の口から聞けるまでは知らぬふりを決め込むつもりでいた。
「ゴロさん」
「ん?」
ヘイハチが腕を止めてこちらをじっと見た。ゴロベエもじっとその目を見る。
「この戦が終わったら、どうします?」
「終わったら、か」
ゴロベエは心の中で苦笑する。まだ本戦は始まってもいない。勝てる見込みだって厳しい。
それなのにもう、終わったらの話か。
「さぁな。先ずはこの戦に勝たねばな」
「…そうですよね。すみません、変なことを聞いて」
ヘイハチは笑顔を一度こちらに向けると、再び滑車に目を落とした。
青銅の滑車は大分古い物であるらしく、付着物が激しくて小刀でそれをこそげ落としてゆく。
「いやあ、この滑車、もう主軸が大分痛んでいる。主軸だけ代えれば何とかなるでしょう。
女性でも楽に汲み上げられるようにモーターをつけて、太陽式電池で動くようにすればいい」
ヘイハチが、少しわざとらしく成果を口にした。ゴロベエに何か言って欲しいという意思表示だ。
ゴロベエは「村の者も喜ぶな」と笑ってやる。
「それだけの腕があれば、職に困ることはあるまい」
「いえ、私は…」
ヘイハチは小さく笑って下を向く。そしてガチャガチャと工具を片付け始めた。
ゆっくり、丁寧に。しかし、どこかたどたどしい。先ほどの流れるような手さばきはもうそこにはない。
そうか。
ゴロベエは悟った。ヘイハチは何の気なしに今後を尋ねた訳ではない。
自分との関係はいつまで続くのかを問うたのだ。
きっと、この戦が終われば戦友は旧友となる。まさか7人でゾロゾロ次の仕事を探す訳ではあるまい。
――7人残れるという保証もないのだが。
きっとそれぞれ、自分の道を歩き出すのだ。我々は道の半ばが交わった者同士に過ぎない。
しかし、心情が代わればそれはまた別である。
ヘイハチはゴロベエを好いていた。ゴロベエも少なからずヘイハチを想う。
好いた二人が「仕事が終わったから」と離れ行くのは、道理ではない。
ヘイハチは、それを問うたのだ。
自分たちはどこまでの関係かと。大戦中もそうだった。戦場特有の熱気に当てられ、身体の火照りだけを潤す為に関係を結ぶ者も
少なくはなかったが、それ以上に深い愛情を睦む者もいた。
終戦後、二人で旅立つ者もいた。反対に、戦の熱情が冷めてしまった台風一過のような風の中、別れてしまう二人も珍しくない。
自分たちはそれのどちらか、とヘイハチはゴロベエに聞いたのだ。
きっと、ヘイハチはゴロベエがどちらを選んでもそれに従うだろう。そういう人間だ。
惚れた弱みとは少し違う部分で、ヘイハチは己の欲望に厳しい。抱いてくれとは言うものの、事後に激しい嫌悪感に苛まれていることを
ゴロベエはよく知っている。
過去に己が犯した罪への呵責だろう。そのせいで平穏と幸せを見つけられぬサムライをゴロベエはたくさん知っていた。
「そうだな」
ゴロベエの言葉に、ヘイハチが手を止めて不安そうにゴロベエの顔を見た。
「某は…一度実家に帰るか。長年帰っておらず、空家になって久しいが、管理の者を置いてあるのであばら家にはなっておらぬだろう」
ヘイハチは何も言わない。ただ、何か辛いことを思い出しているかのようにじっと黙っている。
ヘイハチには帰る家が無いのだそうだ。正確には帰れないと聞いた。しかし、その訳までは聞かなかった。
負け戦で戦功も恩賞もなく、食い扶持を増やすだけに実家に帰るような真似をは出来ぬというサムライも山ほどいる。
ヘイハチは押し黙って聞いていたが、ニッコリ笑った。
「そうですか。ゴロさんのご実家は…南の方なんでしょうね」
ゴロベエは7人のサムライのうち、唯一勝ち方の南軍出身者だ。南はここらの北と違い、勝ち戦だったが為にアキンドの世になっても
サムライの要る場所もあると聞く。
ヘイハチは工具を纏めると、「洗ってきます」と抱えて外に出ていった。
ゴロベエは再び刀に打ち粉を振るう。
あの顔を見れば、嫌でも解る。
別れても、そのまま沿ってもどちらでも従いはするが、別れを告げた時にどれだけ辛そうな顔をするか。
それでも彼は笑って頷くだろう。
「お世話になりました」と一言残し、まるで何もなかったかのように傷に思い出を塗り込めて去るのだろう。
最初は、そうするつもりだった。
ヘイハチとのことは戦を共にしている間だけと割り切った。しかし、気持ちはそこまで簡単に割り切れる物ではない。
一刻一刻、彼を愛しいと想う気持ちが増していき、今では絶対に離すものかと切に思う。
ゴロベエは立ち上がった。
「ヘイさん」
ヘイハチは井戸端のランプの下で黙々と工具を洗っていた。
「ゴロさん」
ヘイハチがゴロベエを文字道理見上げる。その後ろには満天の星空が見えた。
「今夜は星が綺麗です。散歩がてら見回りでも」
暢気に取り繕ってみせるヘイハチの頭を、ゴロベエがわしゃわしゃと撫でた。
そして、まるで子犬を抱き上げるかの如く、「よーいしょ」とヘイハチを抱き上げた。
ゴロベエが自分を見上げている。ヘイハチはゴロベエをじっと見下ろしていた。
ゴロベエはこんな高い位置から世界を見ていたのか。
ヘイハチは思わず周りを見渡す。柿の木も、桜の梢も、みんな低い。星空だけが、まだまだ高い初めての世界。
「ヘイさん、某と一緒にくるか?」
「は?」
ヘイハチは驚いてゴロベエを見た。何をいったのか、何のことを言っているのかヘイハチは掴めないでいる。
「この戦が終わったら。どうだ?」
「あの、それって…」
ヘイハチはうろたえた。まさかこんな誘いがくるとは思っても見なかった。
ヘイハチも心のどこかで、戦の終わりはゴロベエとの別れを感じていた。ゴロベエは自分と遊んでいる、付き合ってくれているだけに過ぎない。
まさか、自分を想ってくれている等とは予想もしていなかった。
予感もなかったといえば嘘になる。けれど違った時の傷の深さを考えて、ヘイハチはいつもその考えを闇に葬ってきた。
「それって、つまり…」
「つまり、そうだ。夫婦にはなれぬが、心持はその辺りだ」
「……」
「なんだ、嫌か?」
ヘイハチはぶんぶんと首を横に振って、ゴロベエの頭を抱きしめた。
「嫌なはず、ないじゃないですか」
「そうか、それは良かった」
「ゴロサぁーん」
「泣くな、泣くな」
嬉しい、とゴロベエの耳元で嗚咽混じりの声がした。
「可愛いな、ヘイさんは」
まだ泣いている。
「そんなに嬉しいか」
大きく何度も首が振られた。
「これで、守るものが二つになった」
ゴロベエが笑った。ヘイハチはまだ声もなく、泣いていた。
END
某様のチャットで出たネタ。
この後は悲劇なので書けません…。胃を悪くしそうで(笑)
…書いた方がいいですか?