NEO KISS
「ふぅー」
蛍屋の一室。先ほどとこについたばかりだというのに、方々から寝息が聞こえる。
農民達も、慣れない環境と使命の狭間で肉体的にも精神的にも疲れきっていた上に
久し振りに感じる畳の心地よさと、よく天日に干された蒲団の温もりはこの上ない極楽に感じられたのだろう。
これほどゆっくり床につけるのは、どれだけぶりか。
さすが癒しの里などと心で天晴れと上機嫌になりながら、ゴロベエもゆっくり蒲団に入る。
仕立てのいい真綿と、きっと東の方から取り寄せたであろう肌触りの良い綿が疲れた身体を我先にと癒しにかかる。
固めの敷布団に、疲れが染み入り、身体力が抜けてゆく。それでも刀の気配といつでも動ける準備は万全である。
それはサムライ故にというよりも、最早身に染み付いた生理現象の域にあった。
「ん?」
ゴロベエの脇腹を突付く手がある。その方向には、一塊の蒲団の山。
カメが甲羅に首を隠すが如く、主の姿は見えない。
ゴロベエはその手をむんず、と掴んで、布団を引きはがす。
「やっぱりヘイさんか」
「ばれました?」
ゴロベエの隣に陣取っていたのは米侍のヘイハチだ。久し振りに美味い米を腹いっぱい食えて、
挙句に用意されていたのがこの畳と蒲団なら、いつの間にか夢心地だろうと踏んでいたが、まだはしゃいでいたようだ。
「ったく、お主は…。幾つだ」
「さぁね。忘れました」
ゴロベエの声には叱咤や呆れの色はなく、どこか慈しむような声音であった。ヘイハチも微笑み返すと、今度はもぞもぞと
ゴロベエの蒲団の中に入ってくる。
「こっちで寝てもいいですか?」
「構わんが?」
偶に、寝る場所に妙なこだわりを持ち人間がいる。隅でないと寝られないだとか、その逆だとか。身体の向き一つでも色々いる。
ゴロベエはヘイハチがその手の類と踏んだのか、立ち上がってヘイハチの元いた蒲団に移動しようとするが、そのズボンの裾を
ヘイハチが慌てて引っ掴んだ。
「ヘイさん…。脱げる」
「そういう意味じゃないです」
ゴロベエはにやっと笑い、しゃがんでヘイハチに顔を近づけた。
「お主、何か企んでおるな?さては、デバガメか」
「まさか。そこまで無粋でもないですよ」
ヘイハチは一度蒲団から出ると、ゴロベエを蒲団の上に押し戻し、蒲団をきちんと正してゆく。
ゴロベエは普段ヘイハチが機械類を組んで行くのを見ているのと同じような目でヘイハチの作業を見守っていた。
やがてヘイハチはゴロベエと少し脇に押しやると、その隣に自分が座った。
「つまりは、一つお蒲団でいっしょに寝ましょってことです」
「はっはっはっは…」
ヘイハチの笑顔に、ゴロベエも笑い返す。
が、ゴロベエは瞬時に真顔になり、ヘイハチの肩をがっしりと掴む。
「ヘイさん、お主、その意味が解らぬ年齢ではあるまいに」
「解って言っていますよ。皆さんよく眠ってらっしゃいますから、大丈夫でしょう」
「お馬鹿」
ぽかり、と頭をやられてヘイハチが「何でですか」とむくれてみせる。ゴロベエは呆れたように肩をすくめると
さっさと空いている蒲団に戻って寝転んでしまう。
「ヘイさん、ゆっくり休んでおいた方が良いぞ。明日からはまた修羅場だろう」
「ゴロさんっ!」
ヘイハチはゴロベエの蒲団を豪快に剥ぎ取り、その腰の上に跨った。
ヘイハチは耳を澄ませて農民達の気配を探ったが、やはり疲れはピークを軽く過ぎていたらしく、一向に目覚める気配がない。
「はっきり、言いましょうか?」
ヘイハチはゴロベエの襟の合わせ目を掴み、少し笑っている。その笑顔は戦後すぐの侍たちの多くがそうだったように、どこか壊れてしまったものだった。
お主も、か―――。それはヘイハチの、不自然なまでに自然に笑う笑顔を見た時から感じていたことだ。
しかし、このままではヘイハチの手はすぐにでもゴロベエの上衣に手がかかるだろう。
据え膳宜しく、このまま抱いてしまってもいい。けれど、きっとヘイハチは…。
「ヘイハチ、いい加減にしろ」
「我慢できませんよ。白粉や香の香りに、すっかり当てられてしまいました」
「自分で何とかするんだな」
「じゃあ、ゴロさんオカズにしていいですか」
「本人を目の前にして言うかな」
「じゃあ、」
ヘイハチは言葉を止めた。いや、言葉に詰まったといってもいいだろう。ゴロベエは、やはりなと息をついた。
装ってはいるが、本当にそうではあるまい。
その証拠に、余りにも直線的過ぎて余裕が微塵もない。
「ヘイハチ」
ゴロベエは長い腕を伸ばすと、ぐいとヘイハチの胸倉を包んで引き寄せる。そして、接吻少し前で止めた。
「男は初めてか」
目を閉じていたヘイハチの肩がびく、と揺れた。図星か、とゴロベエが息をつく。
「解らんなァ。我々には上下も何もなかろうに。無理して抱かれる必要はあるまい?」
するとヘイハチは、違いますよと首を僅かに横に振った。そして、あの壊れた目でじっとゴロベエを見つめた。
「本当に、ゴロさんに…抱いて欲しいと思ったから」
ゴロベエはヘイハチの身体後からが抜けきった頃合を見て、ゆっくりと体を起こす。そしてずりおちてゴロベエの腿の上に
座っているヘイハチの頭を撫でてやった。
「本当に…お主は幾つだ。玄人の顔も、生娘の顔も持つなど、始末に終えんな」
よしよし、とヘイハチを子犬のように胸に抱いてやると、ヘイハチはゴロベエの首筋に手を伸ばしてしがみつく。
「戦の炎を感じて盛ったな?」
「違います」
ヘイハチは顔を上げた。すぐそこにゴロベエの厳ついが優しい顔がある。
「私は、あなたが好きです」
先ほどユキノとシチロージを見て、いいな、と思った。
そして、その次にゴロベエの隣に寄り添えたらと思う自分に、まるで第三者のように「やっぱり、そうでしたか」と苦笑した。
気づいたら、もう歯止めが利かない。それでなくともサムライの命はアキンドや農民達よりももっと「明日をも知れぬ」もの。
大戦時からついた習性か、ヘイハチをすぐに行動に移させた。
ヘイハチはその唇におずおずと口付ける。あまり上手いとは言えぬ浅いそれに、一度顔を離したゴロベエが苦笑する。
「下手糞」
ぐい、とヘイハチの背が押された。太い腕と厚い胸板に抱かれたヘイハチの唇に、深い接吻が降りてきた。
息をする間も与えてはくれない、長くて深い、貪られるような接吻に、思わず声が漏れそうになる。
しかし、ゴロベエはヘイハチが本当に取り返しのつかなくなる一歩手前で彼をその腕から解放した。
「終わり、ですか?」
ヘイハチが懇願するようにゴロベエを見上げる。ゴロベエはしっかりと頷いた。
「少しは気がすんだだろう。今夜はもう、寝ろ」
「寸止め…は少し酷いですよ」
「馬鹿を申すな。いいから寝ろ」
ゴロベエはそれだけ言うとさっさと蒲団に入ってこちらに背を向けてしまう。ヘイハチは仕方がなく自分の蒲団に入った。
それから少ししただろうか。
ゴロベエは背中に暖かい物を感じる。
「ヘイさん…?」
いつの間にかヘイハチが自分の蒲団を抜け出してゴロベエのすぐ隣に入ってきていた。
背中を通して、切ない声が身体に響く。
「お願いです。今夜はここにいさせてください。何もしませんから」
「…風邪だけは引いてくれるなよ」
ったく、とゴロベエはしっかりとヘイハチを布団の中に入れてやる。
キクチヨ乱入の30秒前のことだった。
END
ヘイさん…初めてなはずないでしょうに…。工兵で可愛ければとっくの昔に餌食になっているでしょうに…。
夢です。私の。