喪失の夢
「ヘイハチ!」
ゴロベエは飛び起きた。まだ夜半過ぎ。外では暢気な虫達が大合唱にいそしんでいる。
「どうしました?」
突然ついた行灯の灯りに、リキチの家の囲炉裏端で、隣で寝ていたヘイハチがむくりとその小さな上半身を起こし、眠たそうに目を擦る。
他にサムライはいない。ヘイハチと二人でこの家に来た時は、シチロージとカツシロウが居たのだが。
二人は休み終わったのかきっと持ち場へ戻ったのだろう。
「ゴロさん、汗びっしょりですよ」
ヘイハチが慌てて水瓶の水を盥に入れて、手ぬぐいを浸して絞る。
「ほら、脱いでください」
「ああ、すまぬ」
所在無いゴロベエの衣服を脱がし、ヘイハチはまるで自分の作った大型機械を磨くように、
丁寧にゴロベエの身体を拭いてやる。途中ゴロベエが「自分で」と言ったが、ヘイハチは笑って首を横に振った。
「珍しいですね。いやな夢でも?」
「そんなところだ」
ゴロベエは、ヘイハチの顔を見てほっとしたように笑った。
「夢で、よかった」
その言葉はヘイハチには届かなかった様で、ヘイハチは首を少しかしげていた。
ゴロベエが見た夢。
それは、ヘイハチを失う夢だった。
どこか知れぬ闇に、ヘイハチは笑いながら墜ちていった。
確か、「米が食いたい」なんて言ってたように思う。
そして、彼が消えた先に待っていたのは、酷い爆発音と硝煙の臭い。
普通、夢とは音のないものと聞いていた。無声映画のようだと。
しかし、あまりにもリアルな映像と音に、ゴロベエは夢だと解るのに少し時間を要した程だ。
「ヘイハチ」
「なんです?」
「ここに座れ」
ヘイハチはリキチが貸してくれた襦袢をゴロベエの肩にかけてから、ゴロベエが示した彼の膝の中にいつものように収まる。
「ゴロさんが私に甘えるなんて、相当嫌な夢だったんですね」
「二度と、御免被りたい」
ヘイハチがゴロベエの首に手をかけて、小さく二三度口付けた。
「抱きますか?」
「いや…」
ゴロベエは苦笑する。あんな後味の悪い夢の後だ。ヘイハチを失いたくないあまり、ヘイハチを己の身体に刻もうと
どんな無体なことをしてしまうか、想像がつかない。ヘイハチは自分の求めることなら大抵は受け入れてしまうから、
彼を傷つけたくないなら、今はどれだけ欲していても抱くべきじゃない。
ヘイハチは困ったような顔をしてゴロベエの胸に身を預けていた。
ゴロベエは、その体温を現実として受け止めながら、そっと抱き上げて布団の中に戻してやる。
「疲れているだろうに。起こしてすまなかったな」
「いえ、それよりゴロさんの方が…」
「某は大丈夫だ。夢見如きで怯えはせぬ」
お休み、と微笑むゴロベエに、ヘイハチも頷く。この微笑を見せるのは「もう何も言うな」ということなのだ。
行灯の明かりが消えた。
ヘイハチは再び、夢路の扉を叩こうとしていた。
ぎゅっと、身体を抱きしめる腕がある。
「ゴロさん…?」
ヘイハチは闇の中、ゴロベエの身体を確認する。
「今夜は、こうして寝かせてくれ」
「はい」
ヘイハチの少し高めの体温と、心臓の音が胸を通して伝わってくる。
野伏との決戦は近い。あんな夢のように、 この鼓動を決して失わせはしまい。
END